ゆーすけべー日記

はてなBlogってどーなの!?

ワンダーフォン #08

僕がコメダ珈琲に着いて喫煙席を見渡すと、サキはボックスシートに座ってホットコーヒーを飲んでいた。下はロングのコットン生地のベージュのスカートに、上はふわふわと起毛したネイビーのセーターを着ていた。どちらもいい感じに着込まれている印象で、古着屋で売ってるほど色褪せているわけではなかった。彼女は昨日出会った時と同じようにMacBook Proを広げ、Javaの本を眺めていた。傍らにはパーラメントの吸い殻が三本入った灰皿が置かれている。僕の顔を見ると「来てくれたのね」と丸い眼を細めて笑った。大きな涙袋が印象的だった。

僕はアイスコーヒーが運ばれてくると訊いた。
「で、バレンタインデーまでの課題ってどんな課題?」
「このJavaっていうのでゲームを作れって言われているの。私、ゲームなんてDSのポケモンをちょっとだけやったことがあるだけよ」
「僕もゲームは苦手だよ……そうだな、スーパーファミコン以来やってないね」
「私と同じようなものね」
「うん。それで、君はどんなゲームを作りたいの?」
「作りたいゲームなんてあるわけないじゃない。とにかく課題を提出するためのテイを整えたいの
僕は腕を組んだ。
「うーん。君は昨日『Hello World』を済ませたプログラミング初心者だ。それに僕らはゲームをあまり好きではないし、僕もプログラマーとはいえ、ゲームを作るのはそれほど得意ではない。けれども、君は一週間後にゲームを完成させなくてはいけない」
そういうと僕はマイルドセブンを一口吸い、顔を上げて煙を上に吐き、それから彼女の方を向いた。頬をわざと膨らませる仕草をして、サキは言った。
「そういう言い方すると、なんだかすごく困難なことに立ち向かうみたいね」
「状況を整理しただけだよ。つまり——なるべく簡単に作れて、そこそこ見栄えのいいゲームを作ればいいんだ」
「そんなゲームってあるの?」
「分からない。でも、それをとにかく考えるんだ。手を動かしてプログラムを書く前にね」
「間に合うの?」
「こういう時は焦っちゃいけないんだ。どう作るかじゃなくて、何を作るかが重要だからね」
サキは首を傾げて訊いた。
「それってあなたの仕事でもそうなの?いつもそんなことを考えているの?」
「うん。常に楽をすることを考えている」
「面白いわね。そういうIT の仕事って難しい……そうね、何て言うのかしら——テクニック?の勝負だと思ったけど違うのね」
「僕には残念ながらそのテクニックがないんだ。だからいかにして問題を簡単に解決するかをまず考える」
「それはなんだか素敵なことに思えるわ」と彼女は真顔で言った。よく見ると茶色い瞳をしていた。
「じゃあ、今日はそれを一緒に考えてちょうだい。私が一週間で作れて、楽しそうなゲーム」

僕らは腹が減る時間までの間、一箱分の煙草を吸って、ドリンクをおかわりして、お互いのMacBookを閉じたまま、どんなゲームを作るか話し合った。彼女が「こんなのはどう?」というアイデアを頷きながら聞いて、僕は頭の中で因数分解するように工数見積を瞬間的に行った。そのゲームを作るのは彼女にとって可能か不可能かを判断していたのだ。おおよそ、ネタが尽きる頃には、3つほどの実装プランが出来上がったから、それをサキに伝えると「いつの間にそんなこと考えていたの?」と驚かれた。結局、画面に出てくる選択肢を選んでいくと<恐竜>が成長するという、でっち上げの育成ゲームのようなソフトウェアを作ることになった。これなら、簡単な条件分岐だけで済む。ちなみに、彼女はどうしても「恐竜」がいいと言った。

夕食の時間なので、その場で食事を取ることにした。僕は網焼きチキンサンドを、サキは僕の勧めでビーフシチューを食べることにした。

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「あら、ほんとにポテトサラダが入ってるわ……私、ポテトサラダって実家で嫌というほど食べさせられたから、最近食べたことなかったのよね。でもこれ美味しいわ」
「言っただろう。コメダ珈琲のビーフシチューはうまいんだ」
「その通りね」
「で、ソフトの名前はどうする?」
「名前?」と大きな声を彼女は発した。
「うん。作ったものには名前を付けてあげないと可哀想だろ。それにプログラムの場合、その名前を元にファイル名を付けたりする。君のことを僕はサキと呼ぶように何事も名前がないと不便なんだ」
「名前ねぇ、考えてもいなかったわ。恐竜にちなんだものがいいわね」
「そうね。君が好きな恐竜」と僕は言った。
「うん。お兄ちゃんのお古の図鑑を読んで好きになった恐竜」
「そういえば、<ジュラシックパーク>のラストに君が今使ってるMacBookでも採用されてるUnixっていうOSを女の子が使うシーンがあったな」
「ジュラシックパークは見たことがあるわ。けど、そんなの覚えてない」
「僕も大して記憶にないよ。けれどこんな感じだったと思う。映画の最後、恐竜が襲ってきて、施設を脱出しなきゃいけないのに扉が閉鎖されている。その時、女の子が突然『私、Unixなら使えるわ』と叫んで、操作パネルのパソコンをいきなり操った。彼女がコマンド打つと扉が開いて脱出に成功するんだ」
「なんだかすごい女の子ね」とサキは言うとビーフシチューの皿にスプーンを突っ込んだまま、しばらく黙って考える仕草をした。僕が網焼きチキンを食べ終わる頃、彼女は眉間に寄ったシワを解放して、言った。
「ねぇ、ジャバシックパークっていう名前はどう?」

ゲームの名前がジャバシックパーク<javassicpark>に決まって、夕食の皿が下げられると、僕らは解散した。昨日と同じように彼女は「自転車で来ているから」と言って、僕が彼女の分まで会計をしているとそそくさと去った。

それからバレンタインデーまでの間、僕はワンダーフォンの存在をすっかり忘れることとなった。

ワンダーフォン #07

サキはやはり慶応の学生だった。現在は大学一年生。一芸入試のような推薦試験をパスして入学するものの、秋学期から授業へはあまり参加しなくなった。ヨーロッパの映画が好きで、家でDVDを借りてみたり、単館上映しているようなところへ出向いてよく観に行く、とペラペラと喋った。僕がどんな映画を観るのかと質問しても、彼女が答える作品はマニアックなものばかりで、僕が分かるものはアルフレッド・ヒッチコックが監督している作品くらいだった。
「大学に映画サークルくらいあるんじゃないのか?」と僕は訊いた。
「あるわ。でもあの人達とは趣味が合わないのよ」と彼女は言った。
「だからかもね。私、学校の授業が好きじゃなくなったの。それに、うちの大学やたらと、グループワークをさせるのよ」
「グループワーク?」
「そう。グループワーク。課題が出されてチームを組んで半年かけて最終発表まで準備するのよ。グループは3人から、多いときには10人。うんざりするわ。私、誰かとつるむのが極端に苦手だわ」
彼女は「OUTDOOR」のロゴが書かれた黒いリュックから、新しいパーラメントの箱を取り出して、カウンターの上に置かれたソリッドなジッポで煙草に火を付けた。
「情報処理はグループワークじゃないのか?」と僕は訊いた。
「違うわ。単独行動。それは嬉しいのだけれど、私本当にコンピュータが苦手なの。大学が始まるまでパソコンなんていじったことがなかったし、携帯だって未だにPHSよ。コンピュータ、興味はあるんだけどね。でも、この本によると私は今『Hello World』って表示しようとしているんだけど、なんでこんだけ苦労しなくちゃいけないのか分からないの。まず、MacBookを充電するところから苦労したわ。家に空きのコンセントがなかったのよ。充電ってそれなりに時間がかかるでしょ。テレビやら炊飯器のコンセントを抜くわけにはいかなかったわけ。だから、自転車で電気屋まで行って電源タップを買ってきたわ。それから、エディタってやつをインストールするのにも手間取った。やっとプログラムをかけると思ったら、このjavac<ジャバシー>ってのが動かないの。ねぇ、コンピュータを仕事にするってこんなに毎日大変な思いをするの?まるで堂々巡りのようだわ」
「ヤックシェービング」と僕は答えた。
「なぁにそれ?」
「ヤックっていうのはチベットだかモンゴルにいる毛の長い羊みたいな動物なんだ。その毛を刈るのはひどく手がかかる。君が『Hello World』を印字するまでに、タップを買いに行ったり、エディタをインストールしたりして、やることが膨れる様を『まるでヤックシェービングのようだ』と言ったりする。業界の用語なんだ。僕らの仕事はヤックシェービングを毎日やるような類いのものさ」
「へー。そんな動物がいるんだ。どれだけ毛が長いわけ?」
「それは知らないな。そんな言葉が出来るくらいだから相当長いんじゃないか50cmくらいかな」と僕は笑った。
「なんだかロン毛の動物って不気味ね」
「おそらく不気味な動物なんだろうね」
「まぁ、言い得て妙かもしれないわね。私はそんな動物の毛を刈るなんてやりたくないわ」
「うん。みんなそうかもしれない。とはいえ誰かが言ってたよ。『人生は大体においてヤックシェービングをしているようなものだ』とね」
「私、そんな面倒な人生嫌だわ」と彼女は吸い終わったパーラメントを灰皿に押し付け、もう一本取り出した。
「ひとまずこの『Hello World』っていうのをやってみたいわ」

僕とサキはコメダ珈琲の喫煙席の中央に置かれたカウンターテーブルに二人並んで座りながら、彼女のMacBook Proを眺め、主に僕がキーボードを操作し、プログラムを動かした。プログラムを書く上で最も初歩的な事柄である「Hello World」という文字列を表示させるのが第一関門だったのだが、まぁ僕はプロのフリーランスのプログラマーだ。なんども経験のしたことがあることだったし、うまくいかない事例を山ほど知っている。彼女の場合は「javac」というプログラムをコンパイルするコマンド実行のためのパス設定が間違っていた。それを指摘して作業を終えると程なく「Hello World」がターミナルソフト上で動いた。

「あら、これで動いてるの?」
「うん。これが『Hello World』。プログラミングの第一歩だよ」
「なんだかあっけないわね。でも、あなたすごいわ。私が一日中かけて悩んでいたことをあっという間に解決した」
「同じような経験を以前にも何度かしたからね」
彼女は腕にはめていた、小さな白いバンドのG-Shockの時計をチラリと見た。
「あら、私、そろそろいかないと」
「そうか」
「うん。バイトがあるの。ねぇ、明日もここへ来る?」
「来るよ。ここのコメダ珈琲は居心地がいいからね。仕事が捗る」
「よかったら、明日もこの『Java』って言うの教えてくれない?課題の締切がもうすぐなのよ」
「いつまでなんだ?」
「そうね……ちょうどバレンタインデーだわ」
「一週間しかないじゃないか」
「だから頼んでいるのよ。お礼は……考えておくわ」
「車で送ろうか?」
「いいのよ。どうせ自転車で来ているし」
そう言うと彼女は自分の伝票を素早く手に取り、席を立った。

これは2008年の話だ——もう、9年前になる。27歳の当時では感じなかった老いを今でははっきりと認識している。もう僕は若くはない。

過去の出来事を思い出すことは実に力のいることで、僕は27歳にタイムスリップして、その時の自分になりきり、神経をすり減らす。そして、このように拙い文章に書き起こしている。そうでもしないと、忘却してしまう事柄が僕の中にはたくさんあるのだ。とはいえ、それを忘れたくないのか、忘れたいのかは僕にはよく分からない。今やっている行為はある種の精神安定のための慰めだ。

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太宰治は自殺して、村上春樹はトライアスロンをしている。それが同じ動機からだと把握出来たのは最近のことだ。

自己治癒をしているはずが、自ら命を立ったり、身体を動かさなくてはいけなくなるのは本末転倒な気がするが、まぁそんなものだ。

そういえば、Linuxと呼ばれるOSソフトウェアの開発者リーナス・トーバルズはその開発動機についてこう言った。

Just for fun

我々は楽しいからそれをやっている。ただそれだけだ。

ワンダーフォン #06

すっかりサリーに紹介された藤沢の外れにあるコメダ珈琲が気に入ってしまった。そもそも僕の地元は藤沢で——といっても藤沢駅近くなのでコメダ珈琲のある遠藤とは遠くはなれているが——土地勘はあったし、道中のドライブは気晴らしになるし、駐車場は無料だし、何より自宅近くの喫茶店に比べて抜群に居心地が良い。

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昼食を済ませると、プジョーに乗り片道1時間弱をかけてそこへ向かった。車の中ではオレンジカウンティのパンクロック(オフスプリング、ゼブラヘッド、ノー・ダウト……)が流れていた。僕はそのディストーションサウンドを耳に入れながら、サリーの言っていた「あなたが本当に望むこと」について考えた。収入は一人暮らしをするなら十分と言っていいほど得ているし、フリーランスという業態上、特に地位も必要ない。彼女も欲しくない。結婚もしたくない。子供もいらない。時間も欲しくない。むしろ暇な時間がたっぷりあるくらいだ。暇といえば、あの頃から僕の中に存在する暇を弄ぶような<寂しい気分>をなんとかしたいとは思っていたが、それを直接伝えたらサリーに却下されたしな。僕は何を望んでいるんだ? 願いを叶えるワンダーフォンを手にしながら、それを僕は活用出来ないでいるのかもしれない。

珍しくコメダ珈琲のテーブル席が埋まっていた。仕方ないのでカウンターに案内され、MacBook Airを広げた。モバイルルーターを起動すれば、こんなところにいてもインターネットに繋がる。便利な世の中だ。僕はターミナルアプリを立ち上げ、クライアントのサーバーの中にログインし、諸々のソフトウェアをインストールし、作りたてのWebフォームのプログラムをデプロイした。

二杯目のドリンクを注文しようとした頃、隣の席に近隣の大学——おそらく慶応の藤沢キャンパスだろう——に通うと思われる女子大生が座っているのが分かった。僕と同じようにMacBookを目の前に置き(僕が使っているものよりハイスペックで画面も大きいMacBook Proだった)、かたわらの「Java」と書かれたプログラミング技術書を難しい顔をしながら眺めていた。注文したサマージュースがやってくると、ストローですすりながら彼女を横目で観察した。時々MacBookに向かって文字を打ち込むも、タイピングは覚えたての箸使いのように拙かった。数文字打っては、「Java」の本を時間をかけて読み、再びタイピングすると、首を傾げてから、パーラメントを吸ってまた「Java」を読んだ。パーラメント、Javaの本、タイピングの繰り返しで、全く先に進んでいないようだった。

僕の方は、Webフォームの動作確認も済んで、あとはクライアントに報告するだけだ。残念なことに、この取引相手はメールを恐ろしく読まないタイプのクライアントだったから、しかたなくワンダーフォンじゃない方の携帯電話を取り出して、その場で電話をかけた。納品完了しました。プログラムはいつも通りPHPで作っています。そちらのサーバーで動くことを目視しました。確認お願いします……相手は言った。PHP?そんなの聞いてないぞ。うちはJavaが分かる人間しかいないからJavaで作り直してくれ。「Java?」と僕はその瞬間大きな声を出してしまった。つい周りを見回して、隣の女子大生と眼があった。まんまるのクリクリの瞳をしていた。僕はやれやれ仕方がないな、今時JavaでWebフォームかよ、と苛立ちつつも、電話口にJavaのプログラムを納期までには動くようにするから、と伝え電話を切った。

隣の女子大生が話しかけてきた。それもそうか。Javaの本を読んでいる彼女の隣で、僕は「Java?」と大きく声をあげてしまっていた。
「Java分かるんですか?」
「うん。一応プロだからね」
「え、すごーい。私、さっきからJava全然分からないんですけど」
「課題かなにか?」と僕は尋ねた。
「はい。私授業サボっちゃってて、昨日から手を付けたんですけど、このコンパイルっていうのがどうしても出来なくて……」
コンパイル——つまりプログラムを動かすための初歩的な手順すら出来てなかったのか。
「そりゃあ、大変だな」
「そうなんです。まだ何にも動いてないんです」
彼女は僕から目をそらし、ラスト一本のパーラメントに火を付けた。
「私、コンピュータとか苦手なのに、情報処理の授業受けなくちゃいけなくて、それに大学に相談出来る友達もいないの」
「それは、大変だ」
同じような台詞しか出てこなかった。
「それ、サマージュースですか?」と僕が飲んでいたドリンクを指差して彼女は言った。
「うん。その通り」
「私もコメダのサマージュース好きなんです。今は珈琲を飲んでるけど。柑橘系の粒がプチプチしてて美味しいですよね」
僕はなんだかその頃から、面倒な気分とは裏腹に好奇心が芽生えてきた。元カノに言われたことがある。「あなたは自分でSだと思っているかもしれないけど、本当は奉仕的なMよ」と。そう、僕はある意味奉仕的な活動が好きなのかもしれない。
「よかったら、課題を手伝おうか?」
「いいんですか?」
「うん。どうせ暇だし、仕事も大したことはしていない」
「じゃあ、コンパイルだけでもお願いします。この<ジャバック>っていうのがどうしても出来なくって」
「それは大抵の人は、javac<ジャバシー>と呼ぶんだよ」

こうして、彼女——サキにプログラミングを教えることになった。このことが<僕自信が僕の望み>を知るキッカケになるとは思いもよらなかった。

ワンダーフォン #05

2月に入った。自宅にこもっての仕事に飽き飽きしてきた僕は、昼飯をとって(大抵がペペロンチーノをベースとしたスパゲッティーだった)、シエスタを済ませるとMacBookを背中に背負い横浜の街へ出た。ベローチェ、上島珈琲など煙草が吸える喫茶店に入り、必ずアイスコーヒーの一番大きなサイズを注文して、仕事の続きをした。大抵の作業は今までやったことのあるようなことの繰り返しで、ホームページの<お問い合わせフォーム>をなんべんも作っているような感覚だった。中身は一緒、外面(見た目や文言)は別。ありもののテクニックをクライアントに合わせて変えるだけの作業だ。夕食が恋しくなると、喫茶店を出て、だいたいラーメンかB級グルメを食べた。横浜駅周辺というのはそういった飲食店で溢れていたのだ。例えば、相鉄口から岡野の交差点へ向かう大通りに面したシェーキーズの前ではピザとパスタの食べ放題を狙って、毎日、中高生が大行列している。僕は食べ放題のピザよりか、もう少し品のあるB級グルメを食べた。すた丼のチャーハンとかだ。

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通りから外れたオフィスビルの1階に、コメダ珈琲を見つけた。名古屋が誇る名古屋的喫茶店の一大チェーン店である。僕はそこの、甘みが最初からデフォルトで付いているアイスコーヒーが気に入ってしまい、通うことにした。アイスコーヒーにシロップを入れるとうまいという発想がそもそもなかったので驚いた。煙草も吸えるし、席もソファー席であぐらをかいたとしても、余裕があるほどだった。

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コメダ珈琲は飯も豊富で、うまかった。それに変わっていった。カツサンドがあると思えば、「味噌カツサンド」まであった。グラタンには刻み海苔がかかっていた。中でも気に入ったのは、ビーフシチューだ。牛肉の油がにじみ出るほどギトギトに煮込まれた非常に濃いもので、スプーンを入れると、中にはポテトサラダが隠れていた。ビーフシチューにポテサラを忍ばせるとうまいなんてことよく考えたな、と感心しながらしばしば注文した。

他のコメダ珈琲にも行きたくなった。

インナーにヒートテックを着て、パタゴニアのダウンセーターを羽織るだけでは寒いくらいの気温だった。月極駐車場まで歩き、プジョー306に乗り込んで、サリーに電話をかけてみた。ワンダーフォンをシェイクした。
「はい、サリーです。お久しぶりですね。お望みは何でしょうか?」
「横浜店以外で居心地の良いコメダ珈琲の店舗を知りたいんだけれど」
「了解しました。少々お待ち下さい」
煙草を一口吸った。
「川崎と藤沢にありますが、藤沢の方がオススメです」
「オススメってどういう風に?」
「席数が多く、空間にゆとりがあります」
なるほど。サリーは中々優秀なのかもしれない。その後、彼女から道順を聞いた。三ツ沢から横浜新道に乗って南下し、戸塚から西へ向かうと。
サリーの音声読み上げみたいな声を聴きながら、行き先を大体把握すると、エンジンを書けた。「ピン」という音が鳴った。ガソリンメーターを見ると残り少ないことが分かった。
「なぁ、サリー。例えば、なんだけど、今車のガソリンがないんだ。これを満タンしたいと僕は思っている。この望みを今すぐ叶えることは出来るか?」
「む……」と今まで聞いたことのないサリーのこもった声が聴こえた。
「そういった類いのことは不可能です」
「そうか」
「申し訳ありません。けれど、そろそろこの電話の使い方のコツが分かるはずです。道順は以上です。それでは」
僕が何かを望んだにも関わらず(それが本当に望んでいるかは置いておき)、サリーにも出来ないことはあるようだった。

藤沢の遠藤というところにあるコメダ珈琲は本当に快適だった。慶応の藤沢キャンパスと文教大学が近くに位置しているためか、学生が少々うるさかったが、さほど気にならなかった。逆にちょっとしたザワザワとした感じが集中力を高め、僕はいつもより、二倍の速さでメールフォームを作りあげ、クライアントに連絡のメールをいつもより二倍丁寧に書いた。

サリーはなかなか使えるな。

いつも通りビーフシチューを注文し、食べ終わると、外へ出た。時刻は20時。僕はワンダーフォンを再びリュックから取り出し、右手に握って振った。サリーが出た。僕は試すように言ってみた。
「なぁ、サリー。セックスがしたいんだけど……」
「分かりました」と案外あさっリと彼女は了解した。
「どんなシチュエーションがお好みでしょうか?以前のようなものでよろしいでしょうか?」
……以前?僕が初めてワンダーフォンを手にした時、堀之内のソープでアヤコとやった時の話か。
「いや、何ていうんだろう。風俗は嫌だな。それに後腐れがないのがいい」
「少々お待ち下さい」
僕は車のキーを開けて、中に入った。
「ちょっと、条件が悪いのですが、それでもよかったら、22時に恵比寿の西口に行って下さい。それでは」
相変わらず、サリーは唐突に電話を切る。

<条件が悪い>という表現が気になったが、そのまま、第三京浜を経由して、恵比寿に向かった。高い料金を取られるのを覚悟してコインパーキングにプジョーを停めて、22時に恵比寿駅前に突っ立ていた。すぐにサリーの言っていた意味が分かった。顔は可愛いが、まるで力士みたいな身体をした若い女の子に声をかけられたのだ。
「タカシさんですよね?」

僕は彼女が行ってみたかったという小洒落た——こんなものは横浜にはない——ダイニングバーに入った。彼女はいきなり赤ワインを飲み始めた。僕はビールが飲みたかったが、車を運転しなくちゃいけないのでジンジャエールを飲んだ。腹が減っているという彼女のためにやたらハーブの草がのったチキンと、オリーブオイルかバターのようなものが降り掛かったテカテカ光るフレンチフライを頼んだ。彼女は大学生3年生で、都内の学校に通い、経済を勉強している。こういう経験をするのはすごく好きなことだ、とベラベラと喋った。僕は彼女の胴体をなるべく見ないようにして、顔だけを眺めた。童顔で目がまんまるでまつげが長くてかわいらしいな、と思ったが、胴体をみたら負けだ。相撲取りである。

どうでもいい気分になり始めて、結局僕は酒を飲んだ。

彼女が「行ってみたいバーがあるの」と言った。深夜0時から開店する「ちょーエロいバーなの」とのことだ。エロいバーってどういうことだ?と思いながら、ダイニングバーの勘定を僕が全額払ってから、行ってみた。カウンターに面する二人がけのソファーが、前方を除く三方を囲むようにで覆われていて、まるで馬車の椅子のようだった。確かにこれは二人きりになれる。彼女はなんだかよく分からない2,000円するカクテルを頼み、僕はソルティードッグを飲んだ。その時、ようやく思い出した。僕はセックスをしたいと望んでいたのであったと。
彼女ははしゃぐように言った。
「ねぇ、六本木にすごいホテルがあるの」
「そこに君は行きたいだね」
「そうよ、連れてってくれる」
僕は彼女の顔だけを見て言った。
「もちろん」

バーに8,000円払い、3,000円をタクシー代として払い、そのラブホテルに着いた。超ハードSMプレイが出来る、をコンセプトとしたたしかにすごいホテルだった。数少ない10室ほどの部屋にはそれぞれタイトルが付けられていて、置かれている(ハード)SM施設の内容が変わるとのことだった。幸運なのか分からないが、とにかく一室のみ空いていたので、僕はフロントのおばあちゃんに15,000円を払って、部屋に入った。

実寸大とも見間違うほどの木馬が置いてあった。木馬にはいかにも丈夫そう革で出来てた手かせがピンポイントで配置されていて、はめていけば恥ずかしい格好になるようになっていた。壁のいたるところに大きな鏡が貼り付けていて、上からはこれまた鎖で手かせが垂れ下がっていた。木馬以外にも、懺悔台や拘束マットまで用意されていた。もう、僕はうんざりしていた。

丸裸になって拘束マットに身体を預け、手かせを付けられ、マットごと回転させられ、前面の鏡にその醜態をされされた。アハハと笑う彼女を満足させた後に、牢屋をイメージしたプレイベッドの中に入った。「私、ゴムだめなの」という彼女に対し、生でやることを了承すると、僕はなんとかかんとか彼女の腹の上に射精した。かなり頑張った。なるべく彼女の顔を見るようにしたが、どうして、三段腹が目に止まり、その度に萎えた。

目が覚めた時には朝の8時だった。相撲取りは消えていた。僕は牢屋から出ると、周りを確認し、シャワーを浴び、散らばったものを片付けた。机に置いたワンダーフォンの下にメモが挟まっていた。

「あなたにはほんとに望んでいることがあるはず。さようなら」

二日酔いのせいもあって僕はますます混乱した。恵比寿まで日比谷線で戻ると、高額なコインパーキングの精算が待っていた。セックスをするのに、3万円払った。

パーフェクトハードボイルドエッグ #03

卵の話だ。それもパーフェクトハードボイルドエッグについてだ。

<ハードボイルド>と言えば、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』をKindleフォーマットで購入し、最新のKindle端末で読んだことがある。半年くらい前の話だ。この小説はハードボイルド小説と呼ばれているらしい。比喩表現が美しく(どんな比喩があるか例えを出そうとしても覚えていないが)、まるで村上春樹のようだなと思ったら、村上春樹が翻訳をしてた。

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長いお別れというタイトルは非常にずるい。なんだかやっぱり先手必勝をされた感じがして、流石だなと思う。人生、出会いがあれば、別れがある。その模様を描くのが小説だとするとより腑に落ちる。「Good-bye」を言う時はそのうち必ずくる。「Hello」と出会った瞬間から「Good-bye」を言うためのある種、期間と呼ぶべきものは始まっているのだ。それをチャンドラーは「長い」と表現した(これはあくまでタイトルの意味のみ切り取った場合の話で、小説の内容では、主人公の友人の死から「お別れ」が始まると解釈出来る)。出会いから別れまでの必然的喪失感の切ない予感を「長いお別れ」と表したのはとても素晴らしいと思った。実際、小説は長すぎて、僕は途中で読むのを放棄したのだけれども。

ちなみに、「短いお別れ」というタイトルのお話を考えてみたが、あまりにも悲しいのでやめた。

卵の話だ。

僕は桜がちょうど散った頃、春の野原の草原をアヤコと一緒にピクニックしていた。草原と呼ぶには、生えているのは芝とも思えるほど短い緑色だったし、デコボコとしたゴルフコースのように小さな丘があった。夏日、らしいとても暑い日だった。歩きながら、アヤコはピンク色のカーディガンの袖を引っ張りあげ、僕はパーカーを脱ぎ捨てグレーのTシャツ姿になった。でっかな樫だかの木に日陰が出来ていて、そこに僕らは座り込み、小学校の頃に使っていたようなふでばこを上に引き伸ばしたくらいの大きさの弁当箱をカバンから取り出した。弁当箱の中には仲が良さそうに固茹でされた完熟卵が4つ並んでいて、僕とアヤコは二つずつ、それを食べた。塩も付けずに、水を飲みながら。

アヤコは言った。
「完熟卵を食べるのって苦労するのね。口がパサパサよ」
「完熟卵はそういうものさ。塩があれば唾液が出るからまだマシなんだけどね」
「そういえば、『半熟』って言葉はよく使うかもだけど。例えば、お前はまだ半熟だ、みたいにね。ああ、それは『未熟』と言うのかな。どちらでもいいわ。とにかく『完熟』っていう言葉はトマトくらいにしか使わないわね」
「完熟トマト」と僕は言ってみた。
「他に完熟ほにゃららってあるかしら」
「うーん。ないね。世の中大抵のものは未熟か、半熟だからじゃないか」
「そう思うと面白いわね。卵って生まれたばかりのものなのに完熟なんて……」

そう、あの春の日、アヤコが言った通り、僕らはいつまでたっても満たされない半熟だし、卵に完熟という冠が付く不条理さが存在する。これがパーフェクトハードボイルドエッグの面白いところだ。卵の話はまだまだ続ける。不思議な携帯の話もする。