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ゆーすけべー日記

はてなBlogってどーなの!?

奥出研偉人伝Blogに掲載されました。

俺が所属する研究室、奥出研の偉人達にインタビューをする、という企画が何やらあるらしくて、はずかしながら俺がその偉人に値するということでインタビュー受けました。 その時の会話の様子をBlog記事にしてくれました。俺、かなり偉そう。 こちらです→奥出研偉人伝blog: 偉人伝インタビュー /和田裕介さん

奥出研偉人伝Blog

インタビュー受けた後はもっとちゃんとしたことしゃべっておけばよかったな〜とか思ったけど、改めて文字になった会話を読むと面白いので(自己満)、この日記でも一部、いやかなりの部分をピックアップして引用させていただきます。

奥出研に入ったきっかけ

インタビュアー: 奥出研に入ったのは?

和田さん: いいバイトがあるんだと言われて、3ヶ月くらいずっとXML書いてた。 スカウトされたってのは 一年の時に、偶然が重なってここにいることになった。 一年の時サークル探して、ロック研にいったら、緑のトレーナー着た変な奴がにあった。 授業の合間にタバコ吸ってたら、またその緑の奴がやってきて。。 3度目にそいつに会ったときが、結局奥出研につながる。 奥出先生は昔、比較文化Bっていう名物授業をやってた。 ようは、ドキュメンタリー撮る授業。 その時に、知り合いと組んでも面白くないよなって思って、 緑のやつとチーム組むことになった。 最初は湘南台のカレー屋のドキュメンタリー撮って先生に馬鹿にされた(笑) それでまずいと思って、チームにスケートやってるやつがいて、村主選手を取材することが できた。それで毎日のように新横浜のスケート場行って、その後大学に行く。新幹線で(笑) で、それについていく。すまり、早稲田の教室の中で、早稲田の女の子を慶應の怪しい男 二人で撮影してるってなんともいえない光景が(笑) そしたら奥出先生の評価が結構良かった。30チームくらいあって2位くらい。

んで一年の秋から優秀なチームがスカウトというか、 一緒に勉強会みたいなのやらないかって言われて、 これといってやりたいこともなかったから、そこから奥出研居候生活が始まった。 そん時は正規履修してなかった。 で、その時もまた緑のトレーナーのやつがいて、実はそいつが 鈴木俊輔!! 今年の3月に卒業した、偉大なる鈴木俊輔、という人がいまして、 その時にやってたのが、xmlで、今ブログでrssだ、rssマーケティングだとか 行ってるけどその大本になるのがxmlで、ずっと前からやってた。 ちなみにその時は専用デスクがあった(笑) で、2年のときは稲陰研。 でも稲陰研では勉強ができないなって思って、結局奥出研に入った。

インタビュアー: なんか緑の人の存在が大きいですね(笑)

和田さん: でも緑の人とはあんまし仲良くないんだよね(笑) でもホント偶然だよね。3度目の出会い。

思い出に残るプロジェクト

インタビュアー: 思い出に残るプロジェクトは?

和田さん: 思い出に残ると言っても、全部で4つしかないよ? ムービー倶楽部、 アクションラジオ、 ボクダナ、 moo-pong。

最初にやったムービー倶楽部っていうのが凄かったな。 何もわからなかったのが、だんだんできるようになって、半年でモノができたからね。 チームのメンバーが全然使えなくて、結局全部俺がやった(笑) あるやつが二週間やってもできなかったものを俺は二日でやった(笑) でも、一人すごい奴がいて、最終発表でちゃんと動くものができた。

インタビュアー: それが3年してyoutubeみたいなのがあるっていう。。。

和田さん: まぁそういうことだけど、それ言うと負け犬だからね。 次は自分が考えたものが世の中に出せるといいなって思ってる。 でも社会との接点は少しずつ持ててきてると思う。

たとえばボクダナのプロジェクトだったら未踏ユースに採用されて、 ある程度の人に体験を与えることはできた。 社会的に意味があるかどうかはわかんないけど、ある程度の人には伝えることができたと思う。

だから思い出に残るプロジェクトっていうのは、比べることができないもの、、な気がするね。

奥出研について

インタビュアー: 奥出研じゃない人に、奥出研で何やってるって言いますか?

和田さん: おもちゃ作ってますって言う(笑) あとは、電子工作とか。 技術が身についてくると、「これは中にマイコンが入っててね」みたいに物知りおじさんに なれる(笑)

自分でガジェットみたいなの作って、いつもそれを持ち歩いて、いろんな人に見せると いいと思うよ。 やっぱり面白いのは、自分の作ったものを人に見せて,それで話ができるって言うことだと思う。 それが一番嬉しいことなんだよ。で、それって結局メディアなの、広い意味で言う。

思い出のデッドライン

インタビュアー: 思い出のデッドラインは?

和田さん: 忘れもしない。未踏ユースの締め切りの時に、かなりテンパってて、 文章の報告書だけ提出だと思ってたら、プログラムもソースコードも提出しなくちゃならなくて、 一人で死ぬ思いをしてた。 一緒にやってた菅ちゃんはスキーに行ってて、電話で「お前スキー場でソース書け!フラッシュ書け!」 って(笑) あの時はホントにつらかったよ。俺死ぬかと思ったもん。国のお金だからね。 まぁなんとか間に合って良かった。

moo-pongについて

インタビュアー: ムーポンはどうして今のようになったんですか?

和田さん: あれはですね。事故かな(笑) ほんとに。事故です。 とはいいつつもあれはあのメンバーだからできた。 多分やっぱり3人ともバンドマンだったとか かつ 変わったものつくりたいとか かつ みんな近場にすんでいた とか かつ みんな面倒くさがり屋 あとは ひとりでスライド作るのが嫌だから 「俺がスライド作るまでまってよー」 っていうのが一番大きい。 それはどういう意味か。 つまり, 例えば,木曜日にミーティングをやります。 じゃあ私がスライドやります。 それで, 「でもわたし帰ってひとりでスライド作るの嫌だー」 「じゃや待っててあげるよ」 「でもその間暇だ。じゃなんか作ろう」 っていう感じで全てうまく回っていって出来たような気がする。 そういう,わがままの産物かもしれない。 あと寂しさの産物かもしれない(笑) だから、寂しさがあれだけ愛着あるものを生んだのかもしれないな,と(笑)

ゆーすけべー日記について

インタビュアー: ゆーすけべー日記はいつから始めたんですか?

和田さん: もう……5年!?? MovableTypeなんてなかったですよ(笑) ハイパー日記システムって知ってますか?(笑) そういう時代です。

インタビュアー: blogを書くっていうのはどういうことですか?

和田さん: 結局は自分のためにやってんだ。 自分で見返して,あの時はこんなことやってたなとか。 モニタの前でニヤニヤする。 まあそのためですよ(笑)

俺にとって奥出研とは

インタビュアー: 和田さんにとって奥出研とは?

和田さん: これはタイミング逃した感じもしますが, ,,,やっぱ「緑のトレーナー」ですかね(笑) なんせ緑に囲まれてるからねDNPは(笑) これでいいの?(笑) だってさ, 「僕を成長させてくれた場所です」 とか 「いっしょにプロジェクトをやった仲間です」 とか そういうのって当たり前だからいいたくないじゃん(笑) やだよそんのいいたくないよ(笑)

自分のインタビュー記事を自分の日記で引用ってのもなんともいえん。 全編もしくは他の偉人伝を読みたい人はこちら→奥出研偉人伝blog インタビュー&文字お越ししてくれたうりうちゃん、逆井、おっくん、こーりゃんに感謝。