ゆーすけべー日記

はてなBlogってどーなの!?

ワンダーフォン #01

僕がワンダーフォンと出会ったのは2008年だ。Appleが日本でまだiPhoneを発売していない時期、ダウンジャケットを着ていた冬のことである。このように鮮明に時期を憶えているのは、それが1月1日の元旦、それも川崎堀之内でのことだったからだ。

f:id:kamawada:20170418150351j:plain

当時、僕は27歳で、横浜駅近くの浅間町で一人暮らしをし、フリーランスのプログラマーとして仕事をしていた。仕事は退屈だったが、それなりに収入もあったので、中古のスカイブルーのプジョー306を購入し、月額1万5千円の月極駐車場を借りた。結婚はしてないし、彼女もいないし、友達とは休日が合わないので、大抵一人で車を乗り回した。西に行くとしたら伊豆、東に行くとしたら銚子までドライブをした。まぁ、フリーランスなりに自由な時間を潰す日々を送っていた。

さて、2008年の元旦の朝4時。プジョー306の運転席の中で僕は目を覚ました。あまりにもそれ以前の記憶がないものだから、一瞬飲酒運転でもしたのかと思い、自分の息の匂いを嗅いだが、煙草臭いだけだった。リクライニングは全開まで倒されており、シートベルトは外されいた。フロントガラスの先は、民家の塀で、身体を起こさないとそこが、コインパーキングであることが分からなかった。プジョーは前進駐車されていた。

右手にひんやりとした真っ黒い鉄のかまぼこ板のようなものを握っているのに気づいた時に、そいつが震えた。今思えば、そいつはスマートフォン。のようなもので、今で言うApple iPhone7もしくはSamsung Galaxy S7に近い形状をしていた。真っ黒いかまぼこ板の表面はディスプレイ画面になっていた。バイブレーションしたとたんに、明朝体の縦書きで「サリー」と印字されて驚いた。解像度が高いはずなのにだいぶダサい。その割に、ユーザーインターフェースは親切で、それが電話の「着信」であることを理解するのにそうそう時間はかからなかった。そもそも混乱していた僕は、勢いで緑色の丸い「通話」ボタンを押した。電話口は女性だった。
「もしもし?」
「もしもし」とふてくされた感じで答えてしまった。僕には謎な状況すぎたからかもしれない。
「あなたはタカシですね?」
コンピューターの音声読み上げのような声で女性が言った。いや、実際そうだったのかもしれない。
「あ、はい。そうだけども……」
「これは電話です。分かりますね?」
なんかカタコトだ。
「う、はい。今、電話してますからね」
「そうその通り。あなたは優秀ですね。私は通話だけではなく、あなたが望んだ時にその望みを叶えられるように努力します。今からこれはあなたの電話です」
望み??
「望みを叶えるってどういうことです?」
「……車から出て、コンビニの横の路地を入った、ヤングガールという店に行きなさい。そこで『リサ』と告げるのです」
「はい?」その時の僕はそこが関東有数の風俗街であることを理解出来ていなかった。
「それで分かるはずです。それでは」
「ちょっと待って。あなたは誰?」
「私?私はサリーです」
耳をつんざくような鈍い機械音が聴こえ、かまぼこ板のディスプレイは真っ黒い状態に戻った。

この電話、もしくは電話のようなものは不思議だった。突起や凹みがどにもない。つまり物理ボタンが皆無なのだ。先程サリーから電話がかかってきた時のようにディスプレイを表示させることは、僕が能動的に行うことでは不可能のように思えた。

煙草を一本吸うと、車から出て、コインパーキングの向かいにあるコンビニの横の路地に入ってみた。点灯されていないネオン看板を見せびらかす薄汚れたソープランドが立ち並んでいる。それらの店舗の一角に、行列をなす店があって、驚いた。時刻は朝5時になる頃。それも元旦だぞ。そんなにヤりたいのか、と突っ込みたくなるほどの人混みだ。そして、その店がサリーの指定した「ヤングガール」だった。

もう、嫌気が差してきた。なんだって、急に手にした電話……のようなものの女に指図されて、ソープランドに行かなくてはならないのだろうか。こんな並んでるし。僕よりも断然若い、耳に派手なピアスをした青年は必死に「姫始め」という言葉を連呼している。うむ。とはいえ、興味がないわけではなかった。僕は今まで横浜の風俗には行ったことがあったが、川崎は経験がない。それにセックスは好きなことだ。まぁ男は誰でもそうだろう。それに彼女もしばらくいなくてご無沙汰だ。彼の言う、姫始めが出来るならそれはそれでありがたいじゃないか。でも、ここいくらするんだ?財布の中に一万円札入ってたっけ?

行列の先頭の先にある、店の扉から、チョッキを着た店員らしき人物が出てきた。10人以上の行列の男たちがみんなして、彼を見た。彼は、立ちすくんでいる僕の前までまっすぐやってきた。
「ご指名のお客様ですよね?」
む。サリーは女の子の名前を僕に告げたはずだったけど、なんと言ったのだっけ……?
「えーと、ミサさん」と僕は曖昧な記憶を辿り、一か八かで答えた。よくわからん電話を持たされている身だ。適当に答えてもいいだろう。
「リサさん。ですね。お待ちしておりました」
彼はそう言うと行列を丁寧に振り払うように扉の奥へ僕を招いた。少々お待ち下さいと、オシボリを渡され、しょっぼいカーテン越しにビニールのソファーが並べられた待合室に通された。誰かいるのかと思いきや、誰も座っていなかった。ただ、ガランとソファーが8席あるだけだ。

僕は奥から二番目の右手のソファーに腰掛け、かたわらに置いてあった、飴玉を舐めしばらく待った。なぜだか煙草を吸いたい気分にはならなかった。頭をもたげ、なぜ1月1日の4時に川崎堀之内にいたのか?ということに考えを巡らせた。元旦だぞ。正月だぞ。僕は先程まで何をしていた?車でどこへ行った?大晦日は何をした?

「リサさんで待ちのお客様。お待たせいたしました。お時間までごゆっくりお楽しみ下さい」
甲高い、店員の声と共に、カーテンが開かれた。僕が「料金は?」と訊くと、彼は「いただいておりますから」と答えた。疑問を抱く間もなく、奥の通路に案内された。

「右手入りますとリサさんがいらっしゃいます。ではいってらっしゃいませ」

仕方ないな。という気分と、ちょっとしたワクワクした心持ちと、不思議だなと思いながら、そちらの方向を向くと、急な階段があった。その三段ほど登った先に源氏名「リサ」と名乗る女性が薄いピンク色のキャミソール姿で立っていた。彼女は言った。

「あら?タカシじゃない。昨日ぶりね」

その頃からだろう、僕はその電話のことをワンダーフォンと呼ぶことにした。