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ゆーすけべー日記

はてなBlogってどーなの!?

パーフェクトハードボイルドエッグ #03

パーフェクトハードボイルドエッグ

卵の話だ。それもパーフェクトハードボイルドエッグについてだ。

<ハードボイルド>と言えば、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』をKindleフォーマットで購入し、最新のKindle端末で読んだことがある。半年くらい前の話だ。この小説はハードボイルド小説と呼ばれているらしい。比喩表現が美しく(どんな比喩があるか例えを出そうとしても覚えていないが)、まるで村上春樹のようだなと思ったら、村上春樹が翻訳をしてた。

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長いお別れというタイトルは非常にずるい。なんだかやっぱり先手必勝をされた感じがして、流石だなと思う。人生、出会いがあれば、別れがある。その模様を描くのが小説だとするとより腑に落ちる。「Good-bye」を言う時はそのうち必ずくる。「Hello」と出会った瞬間から「Good-bye」を言うためのある種、期間と呼ぶべきものは始まっているのだ。それをチャンドラーは「長い」と表現した(これはあくまでタイトルの意味のみ切り取った場合の話で、小説の内容では、主人公の友人の死から「お別れ」が始まると解釈出来る)。出会いから別れまでの必然的喪失感の切ない予感を「長いお別れ」と表したのはとても素晴らしいと思った。実際、小説は長すぎて、僕は途中で読むのを放棄したのだけれども。

ちなみに、「短いお別れ」というタイトルのお話を考えてみたが、あまりにも悲しいのでやめた。

卵の話だ。

僕は桜がちょうど散った頃、春の野原の草原をアヤコと一緒にピクニックしていた。草原と呼ぶには、生えているのは芝とも思えるほど短い緑色だったし、デコボコとしたゴルフコースのように小さな丘があった。夏日、らしいとても暑い日だった。歩きながら、アヤコはピンク色のカーディガンの袖を引っ張りあげ、僕はパーカーを脱ぎ捨てグレーのTシャツ姿になった。でっかな樫だかの木に日陰が出来ていて、そこに僕らは座り込み、小学校の頃に使っていたようなふでばこを上に引き伸ばしたくらいの大きさの弁当箱をカバンから取り出した。弁当箱の中には仲が良さそうに固茹でされた完熟卵が4つ並んでいて、僕とアヤコは二つずつ、それを食べた。塩も付けずに、水を飲みながら。

アヤコは言った。
「完熟卵を食べるのって苦労するのね。口がパサパサよ」
「完熟卵はそういうものさ。塩があれば唾液が出るからまだマシなんだけどね」
「そういえば、『半熟』って言葉はよく使うかもだけど。例えば、お前はまだ半熟だ、みたいにね。ああ、それは『未熟』と言うのかな。どちらでもいいわ。とにかく『完熟』っていう言葉はトマトくらいにしか使わないわね」
「完熟トマト」と僕は言ってみた。
「他に完熟ほにゃららってあるかしら」
「うーん。ないね。世の中大抵のものは未熟か、半熟だからじゃないか」
「そう思うと面白いわね。卵って生まれたばかりのものなのに完熟なんて……」

そう、あの春の日、アヤコが言った通り、僕らはいつまでたっても満たされない半熟だし、卵に完熟という冠が付く不条理さが存在する。これがパーフェクトハードボイルドエッグの面白いところだ。卵の話はまだまだ続ける。不思議な携帯の話もする。