ゆーすけべー日記

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ワンダーフォン #10

慌てて震えるワンダーフォンを手に取った。サリーからの着信があったのは、元旦の早朝、川崎堀之内のコインパーキング——つまりワンダーフォンを手に入れたばかりの時——以来だ。こちらから電話をかけることがあっても、サリーから着信をよこすことはあれからなかった。
グリーンの通話ボタンを押して電話に出た。
「もしもし?」
「お久しぶりですね。タカシさん」とサリーは言った。いつもならば、カタコトに聞こえる彼女の声が幾分ナチュラルに感じた。単なる気のせいか、もしくは僕が彼女の音声読み上げチックな発声に慣れてしまったからかもしれない。
「久しぶり。君から僕に電話をかけるなんて珍しいじゃないか」
「たまにはそういうこともありますよ。タカシさん」
「そうか」
「そうです」と彼女が言った後、しばらく間が空いた。僕は慶応の大学生サキと彼女の課題をこなすことに夢中で、ここ一週間、ワンダーフォンに気を使っていなかったことを見透かされている感じがして、気まずい気分になった。
「あなたが行くべきところがあるのです」とようやくサリーが口を開いた。
「行くべきところ?それは、つまり……そこへ行けば僕の望みを叶えられるということか?」
「ザッツライト!」といきなり弾んだ声をサリーは出した。こんな口調は聞いたことがなかった。そのまま彼女は続けた。
「明日の午後2時、関内伊勢佐木町にある『プリティーゾーン』というお店に行って自分の名前を告げて下さい」
それから彼女はその店への関内駅からの順路を早口で喋った。
「ちょっと待て、サリー。それってまた風俗店じゃないのか?」
「ザッツライト!」と彼女はまた叫んだ。
「その場所に明日行けば、あなたの望むことに少しでも近づけるはずです」
「サリー。申し訳ないが、明日は知り合いと会う約束があるんだ」
「あなたはあなた自信が本当に望んでいることを把握してないようですね。必ず明日『プリティーゾーン』という場所へ行って下さい。そのうち、この電話をあなたが持っている意味が分かるはずです」
僕がワンダーフォンを持っている意味?
「以前と同じようにお店の代金は支払い済みです。ご安心下さい」
次の瞬間、ブチッという鈍い音が聞こえて通話が途切れた。

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明日はサキと会う約束がある。彼女は課題を手伝ってくれたお礼がしたいと言った。けれどもワンダーフォンのサリーは明日、『プリティーゾーン』という関内にある風俗店に行けと告げた。ワンダーフォンは僕が記憶を無くした元旦にいつの間に手にした「望みを叶えてくれる」らしい不思議な電話……。

小一時間、ツボ押し棒で肩を刺激したり、ベランダに出て煙草を吸ったり、MacBookに映るプログラミングコードを眺めたりして考えてみたが、明日の午後、僕はどういう行動を取ればいいのか結論は出なかった。ワンダーフォンを右手に握った。こいつを揺すれば再びサリーと通話が出来る。
サリーが「はい、タカシさん。ご用事でしょうか?」と電話に出た。
「さっきも言ったけど、明日は約束があるんだ。どうしても関内には行けない」
「あなたはそれを本当に望んでいるのですか?」
「ああ、僕は本当にその子に会いたいんだ」
「ユーアー、ア!ライヤー!」とドスの効いた声でサリーが言った。これまた聞いたことない口調だったし、あからさまな日本人的英語の発音だった。
「私からはもうこれ以上何も言うことがありません」
僕は声に出さずに溜息をついた。通話を切られないうちにサリーに訊いた。
「君は何者なんだ?」
「今はまだ言えません。それでは」
ブチッ。

次の日、2月14日バレンタインデーはよく晴れた。その代わり北風がダウンジャケットを突き抜けるほど吹いてきて、実に寒かった。プジョーに乗り込むと三ツ沢から横浜新道に乗り、藤沢の遠藤に向かった。

からかわれてる。そうとしか僕には思えなかった。偶然手にしたかまぼこ板みたいな、電話とも分からない電話に踊らされるわけにはいかない。まぁ、こいつのおかげで中学の同級生、それも昔から好きだったアヤコとセックスは出来たのは喜ばしいことだったのかもしれないが、さほど気持ちのよいことではなかった。そういや、相撲取りみたいな女の子に出会って、3万円払ってハードSMなホテルでセックスをした。<いく>のに目をつぶらなくちゃいけないほど、大変な思いをした。僕の望みを叶えますだ?全くもってサリーはおかしなことを言っている。僕はそれを望んでいたのではないはずだからだ。

コメダ珈琲に着いて、喫煙席を見渡すと、いつものボックスシートにサキが座っていた。Javaの本の代わりに分厚い文庫本を読んで、パーラメントを吸っていた。
「プレゼンはどうだった?」とアイスコーヒーを頼んでから彼女に訊いた。
「バッチシよ。他の同級生のプレゼンに比べて、一番拍手が大きかったし、先生からは『できが良い』って褒められたわ」
「それは良かった」
「全部、タカシさんのおかげよ」
「でも、恐竜を育成するゲームを考えたのは君だし、何より<ジャバシックパーク>っていう名前を付けたのも君だ」
「それはそうだけど……こういうのって誰かのアシストなしでは作れないものよ。私にとってその人は情報処理の先生でも、同級生でもなく、あなただったの。あなたは——少なくともプログラムでゲームを作ることにおいては——アシストが上手だわ」
「僕が君にやったアシスト的なことを皮肉を込めて言うための言葉があるよ」
「どんな?」
「誘導尋問」と僕は答えた。
サキは考える素振りを見せたあと、唇を歪ませてニヤついた。

プログラミングの課題がない分、僕らはいつも以上にプライベートな話をした。サキから彼女はいないのか?と質問をされた。いないよ。いつから、いないの?半年くらい前からかな。どうして別れちゃったの?……僕は同棲していた件と、結婚まで考えていたこと、そして、彼女が(おそらく)浮気をしていて(僕が)辛い一ヶ月を過ごしたこと、ついに別れを切り出したらその二時間後には二度と会うことがなくなったというエピソードをなるべく面白おかしく伝えた。サキは神妙な面持ちで聞いていた。
「それほど仲が良かったのに、あっけなく別れてしまう、なんてあることなのね」とサキが言った。
「あっけなくはないよ。僕は1ヶ月間、家に帰るのが億劫だったほどキツい時期を過ごした」
「家に帰りたくないなんて思ったことがないわ。今は一人暮らしだし、実家にいた時は親と関係も良好だったし」
「まぁ、そのうち同じような気分を味わう時が君にも来るかもしれない」
「なるべくならそれは避けたいわ」
「人生経験としては悪くないかもよ。ところで、君には彼氏がいる?」
「いるわけないじゃない。いたとしたら、その彼に課題の相談をしているわ」
「その彼がアシスト上手かどうかは分からないぜ」
「そうね。その通りだけど……」
右肘をテーブルに置いたまま、右手の人差し指と中指に長っ細く映る煙草を挟んで、その煙の行く先をぼんやりとサキは眺めていた。
「私、今まで彼氏って出来たことがないのよ」
「そうか」
「そうよ」
店員さんが水を汲みにやってきた。サキも僕も手元のドリンクが尽きていた。
「でも」と力を込めた声をサキが放った。
「お礼がしたいわ。これから時間ある?」
「あるよ。僕はいつだって自由に時間を作れる」
「私の家に来て。料理をごちそうさせてもらうわ」
「そりゃありがたい」

その時、ワンダーフォンが震えていたのに僕は気づかなかった。ワンダーフォンはリュックのポケットに入っていたし、何より着信履歴を見る機能がワンダーフォンには付いていなかった。