ゆーすけべー日記

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ワンダーフォン #12

サキとは彼女の自宅近く、湘南台駅前のスーパーマーケットで待ち合わせをした。彼女は自転車で後から追いつくと言い、僕は大きなコインパーキングへ車を停めた。煙草を一本吸ってからスーパーマーケットへ向かうと、ひっきりなしに主婦的な女性かおばあちゃんが入り口を出たり入ったりしていた。時刻は午後5時になる。時計から目を上げると、待たせちゃったわねと大して悪びれてない様子でサキが手ぶらでやってきた。

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お礼に料理を作るとはいえ、サキの家には食材が十分足りていないらしく、こうしてスーパーマーケットに寄ることになった。サキは野菜コーナーから精肉コーナーまで、まるで優秀なカーナビに導かれるように無駄なく点検していった。欲しい食材があると、2秒間程度それらを凝視し、一度手に取ったじゃがいもやら豚肉やらを迷うことなく僕が持っているカゴに放り込んだ。最後にアルコール飲料が冷やされている棚の前へ行くと、私が飲むからとチューハイの缶を4本追加した。僕は買い物客でごった返す狭いスーパーマーケットの中で彼女を見失わないか必死だった。

会計を終えて、外に出ると、辺りはすっかり真っ暗になっていた。僕がスーパー袋をぶら下げて、彼女の家へ向かった。やはりひどく寒く、袋を持つ左手の感覚がなくなるほどで手袋でも欲しいなと思ってしまった。サキはダッフルコートのポケットに両手を突っ込んだまま僕の前を歩いていた。
「私ね。男の人を家に入れるのって初めてなの」とサキが振り返りながら言った。
「そうなのか。……それが僕でいいのか?」
「いいのよ。たぶん」とサキが前に向き直した。それから言った。
「だって、そのことを私が望んでいるかもしれないから
そう遠くはない彼女の家に着くまで、僕は黙ってその言葉を頭の中で反芻した。私が望んでいるかもしれないから。これはいわゆるフラグ(特定のイベント成立のために条件が揃うこと、もしくはコンピュータの世界では条件の有無を表すための変数)なのか?しかし、「望む」という言葉を彼女が使ったことに違和感を感じるぞ……。

散らかっているかもしれないけど、これでもさっき片付けたのよと通されたサキの部屋は一人暮らしにしてはあまりにも広く、女の子のそれにしてはあまりにも質素だった。ワンルームの間取りではあるが、その一室が六畳一間の僕のアパートに比べると倍ほどの面積だった。それに加えて三口コンロのキッチンと独立洗面台を備えていた。部屋にひかれたカーペットの中央にはこたつが配置されていて、周りにはDVDプレイヤーを携えた液晶テレビと、主に文庫本が無理やり収納されている背の低いカラーボックス、それにシングルサイズのベッドがあった。なるほど。部屋の中にあるそれぞれのオブジェクト同士の距離が広いと、このように生活感を感じないものなのか。

手伝うよと言っても、あなたはこたつで待っててと返されるので、しばらくニュース番組を眺めながら待った。日米首相会議がもうすぐ始まる、東京の調布の方で火事が起こった、とある芸能人の不倫が発覚した……。普段テレビを持たず、テレビを見ない生活をしているので物珍しい感じもしたが、決して興味深いものではなかった。それよりも、女の子の家に上がり込む方が珍しい気がした。最後に女の子の部屋で二人っきりになったのはいつの頃だろうか?

料理は決して30分で作ったとは思えないほどの出来栄えだった。生野菜サラダとピーマンのきんぴら、お味噌汁、そして肉じゃがが目の前に置かれた。
「こりゃすごい。よくこんな短い時間で作れたな」
「私、料理を楽して作るのは得意なのよ。まぁお味噌汁だけはインスタンスで妥協しちゃったけど。味は……あんまり人に食べてもらったことがないから保証できないけどね」
「肉じゃがなんて面倒じゃないのか?」
「裏技があるのよ」
「裏技?」
「うん。普通はしょうゆ、砂糖、みりんを用意しなくちゃいけないんだけど、今回の場合は焼肉のタレを使ったの」
「焼肉のタレ?そんな風には思わなかったけどな。しっかり肉じゃがの味だよ」
「焼肉のタレにはちゃんと、しょうゆと砂糖とみりんが入っているのよ。まぁにんにくとか余計なものが入っているけど、意外と肉じゃがになるのよ」
「なんだかおんなじだね」
「同じ?」
「うん。プログラミングと。いかにして楽をするか」
「あら、そうかしら。そう言われればそうかもしれないわね」
サキは思い出したように、キッチンからチューハイの缶を2本持ってきた。
「あなたも飲んで」
「え?知ってるだろう、僕は車で来ているんだぜ」
「湘南台駅から相鉄線で横浜に帰れるわ」
「車を置いてけって言うのか」
「いいじゃない。たまには」
サキの言う通り、久しく酒を飲んでいないし(シゲルと横浜駅近くの居酒屋で飲んだ以来か?)、なによりサキの眼が座っていて訴えかけているようだった。
「分かった。飲むよ」

一度、車で帰ることを諦め、酒を飲みだすとなぜだか急に楽な気分になった。僕らはお笑い芸人のコンビがローカルバスを乗り継いで静岡の熱海から石川の金沢まで行けるかチャレンジをするというテレビ番組を見た。サキもDVDを見るばかりでバラエティ−番組など見るのは久しぶりだと言ったが、酒が入っているせいか二人して笑った。だいたい食べ物を食べ終わって、姿勢を崩す際に、こたつの中で僕の足がサキの足にあたった。ニヤついた上目遣いの眼でサキは僕の方を向いた。サキがわざと足を僕の方に寄せてきて、結果、足相撲をしてるような格好になった。声を上げて笑う彼女は楽しそうで、やたら僕はドキドキした。

食器の片付けは僕がやった。サキが私がやるわよと言ったが、中華料理屋で皿洗いのバイトをしたことがあるから、僕は皿洗いのプロなんだと説得した。実際問題、トレイの中にはそれなりに綺麗になった器の類いが整然と並べられた。その間、サキは僕の背後からワインのボトルを見つけ出してきて、こたつに持っていき、2つのグラスにそれを注いだ。テレビは消されていた。

パーラメントに火を付けて、ワインのグラスを握りながらサキが訊いた。
「ねぇ、あなたが最後にエッチなことをしたのっていつなの?」
「うーんとね……」
サリーの音声読み上げの声が脳裏をよぎった。そういえば、彼女は今日僕に「プリティーゾーン」という関内にある風俗店に行けと指示していたのだった。
「君と会うちょっと前かな?」
「え、彼女?」
「違うよ。彼女はいないって言ったじゃないか」
「じゃあ何?ナンパ?」
「まぁナンパみたいなもんだね」
まさか、ワンダーフォンのサリーにお願いしたらセックス出来たとは言えない。
「へー。家に連れ込むの?」
「んーと。その時はホテルに行ったね。とっても興味深いホテルだったよ」
それから僕は相撲取りみたいな図体の女の子と行った六本木のハードSMホテルの件をなるべくソフトに解説した。
「そういうのってすっごく興味があるわ。でもなんというか……」
サキは僕の背後にある本棚に収納されている本の背表紙を読み取るように視線を移した。
「やっぱり怖いの」
残っているワインを一気に飲み干し、グラスをコンっとテーブルに置くと彼女は言った。
「怖いけど、一度は乗り越えないといけないわよね」

その時、バイブ音が鳴った。僕のジーンズの右ポケットに入れた携帯電話ではなかった。サキの目の前に置かれた彼女の携帯電話は微動だにしていなかった。サキは周りを見渡す素振りをした。僕は僕のリュックを引き寄せ、その中に入れたワンダーフォンを手探りだけで確認してみた。それは震えていなかった。——つまり、着信があったのは僕のワンダーフォンではなかった。